アロマ風水創始者
株式会社宇宙の灯(そらのあかり)代表取締役
一般社団法人アロマ風水協会代表理事

横井靖弘(よこいやすひろ)

▽生年月日:1969年9月2日
▽出身地:神奈川県横浜市
▽血液型:O型▽星座:乙女座

「アロマセラピーと風水を融合した、新しい開運のメソッド」であるアロマ風水創始者であり、一般社団法人アロマ風水協会・代表理事、株式会社「宇宙の灯」代表取締役を務める。「アロマ風水を広め、日本を元気にする」ことを理念とし、都内のパワースポット「天空サロン」を拠点に、日々、多くの人がより幸せな人生を歩むための手助けに奔走している。

現在に至るまで、将来の目標や夢がなく、さまよっていた多くの人の人生を劇的に好転させており、有名芸能人やプロスポーツ選手から、アナウンサー、大手企業経営者、個人事業主などその成功例には枚挙にいとまがない。
最近は地上43階のパワースポットにおいて、アロマ風水を学ぶ多くの生徒に囲まれる毎日が続いている。

 


 

物心ついた時からエネルギーバランスが悪かった

高度経済成長の続く1969年、横浜市の裕福な家庭に長男として生まれた。
「物心ついた時から(アロマ風水の言葉を借りるなら)エネルギーバランスの悪い」子どもだった。

幼少期から人と話をしても何か噛み合わなかった。そんなことが度重なり、自分はどこか周囲と違うと常々思っていたが、小学校に入ってからは、その違和感をより顕著に感じるようになっていった。

例えば、アイドルブームを迎えていた当時、クラスメートの間では松田聖子や田原俊彦といった時代を駆け抜けたアイドルの話題で持ちきりだったが、そんな周囲をよそ目に、アイドルや彼らの曲に対して一切興味を持てず、マイケルジャクソンをはじめとする洋楽やロックなど、真逆な音楽に関心を寄せていた。

当然クラスメートとは話が合うはずもなく「暗い人間で全く友達のいなかった」という小学校時代、クラス全員を敵に回して喧嘩したこともあった。常に「なぜ自分は人と違うのだろう」と悩んでいた。悩んでいたのはそれだけではない。心臓が悪く体にもハンデを抱えていた。

先生は味方になってくれなかった。
第二次ベビーブームの世代で、1クラスに50人近くの児童がひしめき合う教室。出る杭は打たれる、のことわざのごとく、周囲とは違う横井さんに対し、担任からは「あなたの日本語おかしいよ」などの言葉が投げつけられるだけでなく、殴る蹴るなどの体罰も受けた。

挙げ句の果てには、クラスメートの見ている前で「あなたはゴミ以下です」と言われてポリバケツに閉じ込められた上、1時間以上にわたって廊下に放置されたこともあった。


 

反骨精神に溢れた横井少年

家に帰っても心の休まる場所はなかった。PTAの会長を務めていた父親からは「お前はなんで生まれてきたんだ!」と驚くような罵声を浴びせられ、父親に頭の上がらない母親も自分をかばってくれることはなかった。

八方塞がりの状況下「自分でもよく自殺しなかったと思います」と本人も語る。

当時、反骨精神の塊のような少年で「自分を取り巻く環境や世の中に対して、反発心が溢れていた」と当時を振り返る。
それでも負けずに生き抜いたのには、四柱推命で言う神殺の魁罡(かいごう)という星の下に生まれたのも一つ要因ではないかと自身を分析している。

魁罡とは、四柱推命の世界において特殊な星の中でも特別扱いで、 鉄のように強い意志や強力なパワーが宿っており、霊も退散するほど恐れられる「強烈に激しい気性と運勢の持ち主」とされている。それ故か、クラス全体を敵に回して喧嘩をしても「絶対に負けなかったし自分を曲げることもしなかった」強い少年だったという。


 

周りから賞賛される人気者に生まれ変わる

そんな日々の中で唯一、心が安らいだのは、ドーベルマンやシベリアンハスキーといった、当時家で飼っていた大型犬や猫など動物と触れ合うとき。

ありのままの自分を暖かく受け入れてくれる動物たちの優しさに癒され「将来はムツゴロウさん(動物研究家の畑正憲氏)のようになりたい」とさえ思っていた。

中学に進学する頃になると、相変わらず友達と呼べる存在には恵まれなかったものの、喧嘩が強かったため周りには、世間でいう不良たちがなびいてくるようになり、小学生の時のような一人ぼっちではなくなっていた。

朱に交われば赤くなる、ということわざのごとく、彼らと同じく不良の道を進むかに思えたが、ある出来事が横井さんの目を覚ましてくれた。

それはニュースにも取り上げられたホームレス殺人事件。周囲の不良たちが集団でホームレスをリンチしたという有名な事件だ。

そんな事件を目の当たりにした横井さんは「こういう奴らと関わっていたら、とんでもない人生を送ることになる」と気づき、不良たちとは距離を置いて勉強やスポーツに打ち込むようになった。

一度「やる」と決めたら徹底的にやりこむ性格が功を奏したのか、心臓に抱えたハンデを跳ね除け、野球部ではなんとピッチャーでエース4番として大活躍。どこか人と変わっていて友達のいなかった小学生が、周りから賞賛される人気者の中学生に生まれ変わった。

 


 

横井靖弘の原点と将来への第一歩

ここで横井さんは、その後の人生を変える大きな経験をする。

野球部のマネージャーだった女子生徒からの優しさに、生まれてはじめて「心地よさ」を覚えたのだ。それまで男3人兄弟で女性との接点など殆どなかった横井さんは、はじめて女性の持つ優しさや柔らかさなどに触れ、それまで味わったことのなかった幸福感を感じた。

「全ての人間は女性から生まれてくる。そんな女性は尊敬の対象、宇宙と思っている。だから女性が美しく、笑顔かつハッピーでいてくれることが一番の幸せ。女性を喜ぶようなおもてなしをすることが楽しい」と語る横井自身の原点はこの中学時代にある。

エースで4番の野球少年は勉学にも励み、高校はなんと神奈川県内でトップの進学校へ入学。大学は地元・横浜の経済学部に進学した。4年間の学生生活を満喫したのち「将来の生活が安泰だろうから」という理由で銀行に就職した。


 

日本ナンバーワンの販売実績と最初の成功

しかし、決められた堅苦しいルールに縛られる銀行員という仕事が合わず半年で辞め、「大学時代にアルバイトの経験があった」ことからアパレル業界に転職、販売員としてキャリアをスタートさせた。

その頃には既にバブルが崩壊しており、勝ち組・負け組という言葉が世の中を席巻する中、社内は売上至上主義という雰囲気だった。

転職した当初、販売という職種が自分に向いている仕事なのかどうか分からなったが、「自分にしかできないことはなんだろうか?」を常に考えるビジネス脳を持ち合わせていた20代の青年は、無我夢中で他者との差別化を図るビジネススタイルを確立していくことになる。

いわゆる「男にしかできない販売」を徹底して行ったのだ。具体的には、販売員も顧客もほぼ女性というレディースのアパレルを担当していたことから、顧客に対して「男性は女性のこういうところが気になるんですよ」「こういう感じにすると男性にモテますよ」など、男性目線からのアドバイスなどを心がけた。
この戦略が大当たりし、横井さんは販売員として日本でナンバーワンの売上を達成、すぐにストアマネージャー、続いてエリアマネージャーに昇進。そのポジションでも日本一の売上を達成したことから、人事部長まで上り詰め、20代にして既に何千人の人事採用を担当するまでになっていた。

 


 

父親の会社の再建と更なる成功

そんな横井のビジネスセンスが更に花開いたのが、2004年5月に父親の経営していた設計事務所を継いでからだ。

決められたレールの上を進みたくない、という理由から大学卒業後に一般企業に勤めていた横井だったが、傾きかけた経営状態を立て直すべく、アパレル業界を去って父親の会社を継ぐこととなった。

当時、会社は4000万円近い負債を抱えるなど青色吐息の状態だったが、その借金も全て肩代わりすることに。

設計事務所には仕事が無い状況だったため、昼間はハウスメーカーや工務店への営業活動に奔走したが、それだけでは膨れ上がった借金を返済できないことから、夜はライブハウスの店長など全く別の仕事をし、朝は新聞配達をするトリプルワークに励んだ。

毎日の平均睡眠時間が2〜3時間という売れっ子の芸能人も驚くような生活を5年間続けた結果、4000万円近い借金を全て完済するとともに、会社を健全な経営状態にまで立て直すことにも成功した。

 


 

アロマ風水の誕生と順風満帆の日々

その頃、プライベートでも大きな出会いに恵まれて結婚した。

相手はアロマの業界で大成功しているセラピスト。これが横井とアロマとの出会いだった。同年、設計事務所の仕事から離れ、夫婦でアロマ事業の拡大のため新たに会社を設立した。2007年のことだった。

それまで、設計士としてのキャリアの中で風水設計も手がけた経験があり、風水が場を清めたり気をコントロールしたりするためのメソッドだと知っていたが、風水とアロマとの共通性に驚いた。

「アロマ(香り)も宗教儀式などで空間を浄化するのに使われたのがルーツとされており、アロマと風水とを掛け合わせたら、素晴らしいものができる」と考えた横井は、それまで誰も手がけたことのない全く新しいメソッドである「アロマ風水」を創作。

その後も、二人三脚でヒーリングサロンやアロマスクールの運営を展開しながらセミナーなどを開催するなど、順風満帆の日々を送っていた。

 


 

突然訪れた、どん底生活

そんなある日、青天の霹靂(へきれき)が訪れた。2012年の金環日食の日だった。

部屋に戻ると鍵が開かない。妻に電話すると着信拒否。警察や不動産屋に連絡してようやく取り次いでもらえ、数日分の着替えや下着などの入ったスーツケースと空の財布、クレジットカード、連絡先の消去された携帯電話だけを会社のスタッフから手渡された時、ようやく「部屋からも会社からも、そして結婚相手からも締め出された」という過酷な現実を理解した。

連絡先がわからないことから誰にもコンタクトできず、既に両親が他界していた横井さんは行き場がなくなり、2012年5月から7月まで2ヶ月間にわたりホームレスの生活を強いられることとなった。

漫画喫茶で夜を明かしたり、公園で野宿をしたりする日々が続く中、命を絶とうとしたことも一度や二度ではなかったが「(どんな状況だとしても)生きていることに意味がある」とその都度思いとどまった。

 


 

ゼロから一つずつ始めたアロマ風水創始者として独立

転機は2ヶ月後に訪れた。田町で不動産屋を経営している大学時代の友人を通し、部屋を借りられたことから、ひとつずつやれることを始めた。

アロマ風水に関するブログを新たに書き始めるとともに、連絡先こそ分からなかったものの、当時、3,000人ほどいたクライアントのブログにたどり着いた。そこで一人ひとりのクライアントに対してアロマ風水創始者として独立したこと、アロマ風水をわかりやすく伝えるセミナーを開催することなどを伝えた。

その熱意が伝わり、セミナーには徐々に人が来てくれるようになったが、生活する費用を稼ぐために夜間工場で日雇いのアルバイトもスタート。設計事務所の経営改善に取り組んでいた頃より睡眠時間は短くなり、1日あたり1時間しか眠れない生活を年末まで5ヶ月間続けた。心身ともに限界の状態だった。

 


 

物心ついた時からエネルギーバランスが悪かった

その5ヶ月間の種まきが花開いたのが年明けの2013年。

マンツーマンのプラベートレッスンやグループレッスンにたくさんの依頼が殺到、全国から横井さんのもとへクライアントが訪れるようになり、2013年9月には株式会社宇宙の灯を設立。都内に天空サロンをオープンさせるまでに至り、2016年2月4日立春には一般社団法人アロマ風水協会も立ち上げた。

 


 

関わっていただいた方が幸せになることこそ喜び

「豊かさや幸せを伝えるのが風水の役目だが、ホームレスを経験した自分は、そのどちらもなく、説得力の全く無い状態からアロマ風水というメソッドを広める活動をスタートした。そんな状況でも学びに来てくれた生徒さんたちがいた。命を救ってくれたと思っている。だから今はそのご恩返しがしたい」のだという。

「アロマ風水を学んでくれている生徒さんのことをドラゴンファミリーと呼んでいますが、彼らに、アロマ風水を通して“もっと幸せになれる”、“夢は叶えられる”ということを、心を込めて伝えていきたい。一生懸命な彼らの変化を見ることが何よりの幸せ」なのだ。

 


 

アロマ風水と横井靖弘のビジョン

「今後についてはどのようなビジョンをお持ちですか?」と尋ねると、
横井は「生徒さんたちに思考の器を広げていってもらいたいと思います。人間は成長して思考の器を広げていくと、夢もどんどん変わっていくと思うが、その夢を叶えて欲しいのです。そのサポートをしていきたい」という答えた。

「僕の最終的なミッションはアロマ風水で日本を元気にするということ。日本はこれから大変な時代に突入するが、みんなに活力がみなぎってハッピーに過ごせるようになれば良いと思う。そういうハッピーな人が多くなれば日本全体が変わると信じているが、それは僕一人では無理なのでドラゴンファミリーやアロマ風水協会も立ち上げた」のだという。

「さらに言うなら、地球の歴史や風水という学問も男尊女卑の考えがあるが、それが様々な歪みを生んでいると思う。だから、僕は女性を幸せにすることが日本を元気にする源になると思う。今はまだスタートラインに立てたかなという状況。これから日本を元気にしていく」と本気で語る横井とドラゴンファミリーの今後は輝かしいものに違いない。